南相馬に帰った彼女
2012-04-22


いろいろと、本当にいろいろと進めることが多くて、ここの更新も久しぶりです。

震災とそれに続く原発の事故から逃れるため、
角田には沿岸部から多くの家庭が移り住みました。

彼女がまなびの森の教室を訪ねてきたのは夏期講習前でした。
いつもどおりの受付面接をして、勉強を始めました。
南相馬から引っ越してきたことを話してくれたのは、
一緒に教室に通うことになった、小学生の妹でした。
「地震の後に南相馬から転校してきたんだ。」

ご家庭にお手紙を書き、
支援活動のためにいただいた助成金を充当することとし、
授業料は頂かないことを伝えました。

被災を声高に訴える人は一握りで、ほとんどの方は慎ましやかに堪えているのです。
妹の一言が無ければ気付くことは無かったでしょう。
名簿にいただいた住所は、角田市内のものでしたから。

ゼミのグループに入り最初は言葉数も少なかった様子は、
今となっては思い出せないほど、みんなと打ち解け楽しげに過ごしていました。

4月を期に、彼女の家庭は南相馬に帰還しました。
「夏期講習のとき、またまなびの森に来たい。」と言い残してくれました。

故郷を離れる悲しみ、
一緒に中学に進むはずだった友達との別れ、
故郷に戻れる喜びと不安、
避難先で新しくできた友達との別れ、

彼女たち姉妹がこの1年で経験したこと、胸の奥にある言葉にならない感情
それらを思いながらこの先の活動を続けます。
本当は、君が角田の陸上競技場のトラックを走る姿を見たかったです。


勝俣さん、清水さん、
あなた方の会社が引き起こした事故は、
子どもたちの心の中にも深い悲しみを残しています 。
あなた方にもお孫さんがいらっしゃるでしょう?
金銭では測れないものです。
すべて受け止めていたら、あなた達自身の心も張り裂けてしまうでしょう。
だから「自分たちは悪くない」と信じこむしかないのも分からないでもない。
それでも知ってほしいと思います。
[山元の子どもたち支援]
[徒然]

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